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坂の上の雲 第8回 日露開戦
 明治36(1903)年初夏、秋山好古(阿部寛)は清国から帰って千葉県習志野にある騎兵第一旅団長大隊になっていました。好古45才です。機関銃を入手し演習を行っています。そこへ、ロシアが大演習を行うので参観武官となるよう通達が来ました

秋山真之(本木雅弘)は八代六郎(片岡鶴太郎)に連れられ、華族の令嬢たちが自転車に乗る嗜輪会へ行きます。帰ろうとする真之でしたが、稲生季子(石原さとみ)がレースに参加しているのを見つけ、目を大きくしてましたね(笑)八代が去った後で、真之と季子は自転車に乗って笑い合います

7月、真之と季子の結婚式が行われました。貞(竹下景子)は、好古と多美(松たか子)の間の子・与志子、健子、信好を紹介してうれしそう。八代や高橋是清(西田敏行)も参加してましたね

9月、好古はニコリスク演習場でロシア陸軍の圧倒的な兵力を目の当たりにします。コサック騎兵も登場です。夜になると、ウォッカを飲み、腕相撲をして、ロシア兵と打ち解けます。通訳の大庭二郎(海部剛史)とともに、肩車をされて大騒ぎです。好古が「君たちには武士道の伝統があるじゃろ。だがな日本には武士道がある。戦場で会うたときはお互いに勇敢に戦おうではないか」と叫び、ロシア兵も歓喜の声で応えます。サンクトペテルブルグで、栗野慎一郎公使(利重剛)が大蔵大臣ウィッテと交渉していましたが、ウィッテはロシア皇帝・ニコライ二世から罷免され、極東総督のアレクセーエフが後任となると伝えてきました

 *
東京芝で真之と季子が結婚3ヶ月を迎えた頃、律(菅野美穂)が正岡子規(香川照之)の形見分けを持って来ます。子規が描いた画集と下駄をくれました。子規が「軍人の戦場で散らす命と、こんな狭い病床で散っていく命はどう違うんじゃろうの」と聞くと、真之が「違わんじゃろう」と答え、子規が「違わんか。どっちもちっぽけな命じゃからの」と話した記憶がよみがえります。真之と律が話していると、季子が律を呼びます。季子はどじょうをさばけないので、律に頼んできたのです(笑)
 
舞鶴鎮守府司令長官の東郷平八郎(渡哲也)のところへ、海軍大臣の山本権兵衛(石坂浩二)がやってきました。戦いのために人事が固められつつあったのです。東郷は立派な鯛を一度に2尾も釣り上げましたね。旅順艦隊とバルチック艦隊かな!?

10月、ロシアの対案が極東総督のアレクセーエフから、東京のローゼン公使を経て、日本政府に手渡されます。朝鮮の北半分を欲しいという案に、小村寿太郎(竹中直人)は渋い顔です。乃木希典(柄本明)の妻・静子(真野響子)が部屋へ入っていくと、児玉源太郎(高橋英樹)がいびきをかいて寝ていました。児玉は大将の器なのに参謀本部次長となったのですね

海軍省で、山本権兵衛から連合艦隊司令長官を任命され、東郷平八郎は「お引き受けしもんす。必ず勝ちもす」と答えます。それまでの常備艦隊司令長官の日高壮之丞(中尾彬)が怒ってきますが、山本が大本営の手足のごとく動く東郷でないと司令長官は務まらないと説得しました

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真之は海軍省へ呼ばれます。東郷から「よか指揮官とは何か、答えは見つかりましたか」と聞かれ、真之は「はっ…いいえ。ずっと探し続けております」と答えました。東郷が「いまだおいも答えを探し続けておる。このたびは艦隊の編成を更新し、君を参謀に上げることになりもうした。作戦参謀をお願いしたい。参謀長は島村大佐じゃ。島村をよく補佐して欲しか」と話すと、真之は「誓って大任をまっとうする決意であります」と答えます

習志野の好古一家に、真之は季子を託しました。好古は紙に「這回の役(今回の戦)一家全滅すとも怨みなし」と書いて「わしはこの覚悟でやる。縁あってみなこの秋山の人間になった。みなと暮らした月日は、わしにとって宝じゃ。わしの人生、一切の悔いはない」と真之に渡します。多美(松たか子)と貞(竹下景子)が何と書いたか聞くので、真之は「いつもの兄さんの口癖じゃ。単純明快にあれということです」とごまかしました

久敬(伊東四朗)の写真が飾ってあります。年老いた貞は「淳、好物の炒り豆、ちょうさん作ったけ、持っておいき」と言い、真之は「だんだん。母さん、あしが帰ってくるまで元気にしとるんじゃぞ」と話しました。好古と真之は、昔のように茶碗1つで酒を酌み交わしましたね

12月にロシアからの回答が外務省に渡されました。ロシアは強行に極東の軍事力を増大させていきます。連合艦隊は出撃体制を整え、乗員とその家族の別れの会が開かれ、真之は季子を長崎佐世保へ呼び寄せました。季子の裁縫の腕は、律から習っていたんですね。旗艦・三笠が現れ、季子は「美しい」と笑顔を見せてましたが、やがて沈んだ顔になります。真之が「どうした」とたずねると、季子は「真之さんが戻ってくるまでに、1人で着物を縫えるようにしておきます。元気で帰ってきて下さい」と笑いました。雪が降る傘の下で、真之と季子は手を握ってましたね

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開戦直前、東京の児玉源太郎は、サンクトペテルブルグにいるロシア武官の明石元二郎(塚本晋也)に電報による秘密命令を発します。ロシアで革命指導せよという内容だったようです。明石はロシア革命家と接触し、ポーランドから若者が動員され、怨嗟の声が起こっているという情報をつかみます。栗野公使は明石の行動が気に入らないようですね

明治37(1904)年1月12日、御前会議が行われました。枢密院議長の伊藤博文(加藤剛)がロシアとの協商をすすめてきたが、ロシアが誠意を見せないと報告します。山県有朋(江守徹)は、ロシアは交渉を延ばしながら、一方で軍事行動をしているので国交を断絶すべきと続けました。松方正義(大林丈史)は戦費は十分でないが戦うべきと主張します

小村寿太郎は、清国へ兵を運ぶ輸送船が佐世保に集結する前に、ロシアとの談判中止を通告するのは危険なので、それまで日露友好を訴え、ロシアが誠意ある回答を待つ必要があると説明しました。すると明治天皇(尾上菊之助)は「ロシアにもう一度返答を催促して、その返答が多少なりとも、我が要求を入れ、それを条件として、我が方が忍びうる程度のものであるなら、重ねて議論を尽くす必要があると」と答えられ、山本が「天命は下りました」と閉会を宣言します

ロシア皇帝・ニコライ二世は、皇后・アレクサンドラと4人の娘たちとともにいましたが、修正案の対応を迷っていました。1月28日、ニコライ二世から日本に対する全面譲歩という回答の電訓を受け、アレクセーエフはたたきつけます。10日後の2月7日、東京のローゼンに電訓が届きました

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皇帝の電報が旅順総督府に留め置かれている間に、英国外務省よりロシア皇帝による対日作戦計画の裁可という1ヶ月前の情報が日本に伝えられます。陸軍は断交を決意し、大山巌(米倉斉加年)は参内して決戦する事態であると奏上しました

2月3日、海軍省にロシア旅順艦隊が大挙出航したという急報が入ります。山本権兵衛は伊藤博文に、旅順艦隊が佐世保に攻撃を仕掛けてくる可能性があると話しました。明治37年2月4日、最後の御前会議で明治天皇は聖断を下されます。伊藤は懐刀の金子堅太郎(緒形幹太)を呼びました。ルーズベルト大統領のハーバード時代の同窓生の金子に、特使としてアメリカへ渡らせ、アメリカの世論を有利な方向へ導き、大統領に講和へ持ち込んで欲しいというのです

佐世保の東郷の元へ、山本源太郎大佐が封密命令を持ってきました。真之や島村速雄(舘ひろし)有馬良橘(加藤雅也)たちが見守る中で、封が切られます。大海令第1号で、連合艦隊司令長官ならびに第3艦隊司令長官は、露国艦隊の全滅を図るべし、連合艦隊司令長官は速やかに発進し黄海方面にある露国艦隊を撃破すべしという内容でした。いよいよ日露開戦ですね!
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