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龍馬伝 第42回 いろは丸事件
 いろは丸事件が発生しましたが、坂本龍馬(福山雅治)がひるまず表に立ち、徳川御三家の紀州藩との交渉に打ち勝ちましたね。万国公法を出し、世界の航海法での裁きに持っていったのは、みごとです
 
慶応3(1867)年4月23日、4日前に長崎を出航したいろは丸は、10名の客と大坂で売る米や魚や砂糖などの荷を乗せて、瀬戸海の讃岐沖にさしかかっていました。霧が深くなったので、気をつけて航行するよう龍馬は当番に指示を出させます。突然のごう音と揺れがやってきました。大量の水が入ってきます
 
紀州藩の明光丸と衝突したのです。160tのいろは丸に対し、明光丸は887t。いろは丸の乗員乗客は明光丸に乗り移り助かりましたが、いろは丸は沈没し、積荷はすべて海へ沈んでしまいました。福山の鞆ノ浦の船宿にいる海援隊のところへ、紀州藩の岡本覚十郎(斉藤歩)たちがやってきます。龍馬は才谷梅太郎と名乗りました。岡本は見舞金千両だけを置いて行き、去ろうとするので、龍馬は「衝突の原因を明らかにし、どちらの否があるか確かめた上で、賠償金を決めていただかんといかん」と主張しました 

 *
4月27日、長崎の引田屋で岩崎弥太郎(香川照之)が大洲藩の井上将作(岡本信人)たちと飲んでいるところへ、いろは丸沈没の知らせが入りました。土佐商会へ戻った龍馬は、後藤象二郎(青木崇高)と弥太郎に謝ります。ブーツを脱いで横に置いてましたね。弥太郎はいろは丸の代金3万両と積荷の1万3千両を返さないといかんと叫びます。龍馬は「金は全額、紀州に払ろうてもらいますき」と言い出します
 
さらに「ぶつかってきたのは明光丸です。このまま泣き寝入りするつもりはありません。おそらくこれは日本で最初の蒸気船同士の事故ですろう。蒸気船はこれからどんどん増えていきますき、同じような事故がまた起こるがです。そのときは必ず最初の事故が引き合いに出されるがです。土佐は紀州に泣き寝入りしたと。船の事故はどれば否があろうと、力の弱いもんが引き下がる。土佐がそう思われてもええんですろうか、後藤様」と龍馬が言うと、象二郎は紀州との談判に弥太郎も加わるよう命じました
 
弥太郎は、小曽根乾堂(本田博太郎)大浦慶(余貴美子)トーマス・グラバー(ティム・ウェラード)と会って、積荷を大坂で売ったらいくらになったか聞きます。失敗したら腹を斬る弥太郎は必死です。その席にいたお元(蒼井優)に龍馬から手紙が届きます
 
**
5月15日、海援隊と紀州藩との第1回談判が長崎の聖徳寺で行われました。龍馬と弥太郎に加え、沢村惣之丞(要潤)陸奥陽之助(平岡裕太)そして書記の小曽根英四郎(杉山彦々)が参加です。陽之助の父は紀州藩の勘定奉行でしたが、失脚させられたのでした
 
談判が始まりますが、双方とも自分たちの否を認めません。龍馬は、衝突後に明光丸の乗り込んで航海日誌を見たところ、見張りの記録がなかったので、明光丸に見張りがいなかったと主張します。しかし航海日誌を見ると、見張りが記されていました。後から追記されたようです。さらに龍馬が、明光丸が2度も突っ込んだのは甲板に見張りの仕官がいなかったと聞くと、紀州藩士たちは帰ろうとしました。弥太郎は「土佐藩は紀州藩に対し、いろは丸の代金5万両、積荷の代金3万3千両!合わせて8万3千両の弁償を求めるがです!」と叫びます。岡本は公儀の長崎奉行の判断にゆだねてはと言い出し、話し合いはもの別れに終わりました
 
引田屋の小梅の間で紀州藩士たちが飲んでいると、梅の間から紀州をバカにする歌が聞こえてきました。「船を沈めた、そのつぐないが、金をとらずに、国をとる、よさこい、よさこい、国をとって、みかんをくらう」お元や慶が歌っていたのです。その歌は町人や外国人の間にも流行ります
 
***
龍馬は紀州藩が必ず談判を申し入れてくるので、象二郎にも出席して欲しいと頼みました。龍馬は「土佐藩は日本を変える要になると覚悟を決めたがですろう。たかが紀州一藩にひるんどるようでは、幕府を倒すら到底できんがじゃ。これは単なる事故の談判ではありませんき。いろは丸と明光丸の衝突は、土佐と幕府の衝突じゃ。この談判の行方を、長州薩摩それだけではのうて諸藩が息をひそめて見つめゆう。わしが勝てば、あっぱれ土佐と賞賛を受け、流れは一気に変わるがじゃ」と話します。象二郎が「勝ち目はあるがか」とたずねると、龍馬は「わしは負け戦はせんですき」と鋭い目で返しました
 
長州下関の三吉慎蔵(筧利夫)のところへ龍馬から手紙が届きます。紀州との談判で恨みを買うかも知れないので、万が一のときは、お龍(真木よう子)を土佐の坂本家へ送って欲しいという内容でした
 
5月22日、第2回談判が行われます。紀州藩側は勘定奉行の茂田一次郎(中尾彬)も出席してきました。幕府に判断を仰ぎたいという茂田に、龍馬は「船同士の衝突事故は、世界共通で定められちゅう公法で決着すべきではないですろうか」と「万国公法」を出します。茂田は納得しますが、誰が裁くかと言い出しました。すると龍馬は陽之助に「お呼びしいや」と言います。象二郎とともに、イギリス海軍提督・ヘンリー・ケッペルたちがやってきました。ケッペルは「船の衝突事故は世界のどこでも起こることなので、必ず航海法にのっとって、裁定しないといけない。それが世界のルールです」と説明します。紀州藩は賠償金8万3千両を支払うことを認めました
 
***
海援隊のみんなは大喜びです。京の薩摩藩邸の西郷吉之助(高橋克実)長州萩城の木戸貫治(谷原章介)も驚きました。知らせを聞いた山内容堂(近藤正臣)は上洛を決意します。金杯で酒を飲もうとしますが、やめて手紙にかけてましたね
 
海に向かって龍馬が「船を沈めたそのつぐないが、金をとらずに、国をとる、よさこい、よさこい」と歌っていると、お元が「国をとって、みかんをくらう」とやってきます。龍馬が「金が入ったら分け前をもろうてくれ」と言うと、お元は「お金なんていりません。坂本さんはうちの希望ですけん。大嫌いなこの国ば、大嫌いなうちの人生ば変えてくれるとは坂本さんでしょう」と答えました。龍馬は「おまんがこの日本から逃げ出して、異国に行きたい言うたときには、おまんを助けてやりたいち、そう思ったがじゃ。お前はなんちゃあ悪いことはしちょらせん。異国の神様は決してお前を見捨てたりせんき。泣きなや、お元。おまんが泣いたら、わしまで悲しくなってしまうるがぜよ」と酒をすすめます
 
そこへ3人の刺客が襲ってきました。お元が「坂本さん!」と叫んで、刺客は「才谷とは違うのか?」と驚きます。龍馬が相手の刀を奪い、刺客の1人の頭巾をはがすと紀州藩の岡本です。龍馬の剣の腕に、岡本たちは去って行きました。坂本龍馬暗殺まであと6ヶ月!
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