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真田幸村と伊達政宗。魅力ある戦国武将だけど、2人の意外な接点に驚かされましたね。幸村は大坂夏の陣で散る前、娘・阿梅を伊達政宗の家臣・片倉小十郎重綱の陣へ送り届けたというのです。やがて、阿梅は片倉小十郎重綱の妻となりました。宮城県白石市の当信寺には、阿梅のお墓があるそうです。幸村と政宗が、同い年だったことも今回初めて知りました!
エピソード1 私には守るべきものがある~伊達政宗の生き残り人生
・天然痘で政宗は右目を失明する
・中国の唐末期の隻眼の名将・李克用に勇気を与えられる。黒い鎧で”独眼竜”と呼ばれていた
・豊臣秀吉の北条攻めのとき、遅参した政宗は、白装束のパフォーマンスで秀吉の心を打つ
・新田開発や河川改修で領国・仙台藩の経済力を発展させる
・徳川家康の天下になってから、遊びや贈り物をして、天下への野心がないことを示す
エピソード2 私には燃やすべき命がある~真田幸村 不遇を越えて
・関ヶ原の戦いのとき、真田幸村は父・昌幸とともに、上田城の戦いで、徳川軍を撃退する
→幸村が味方した西軍が敗れ、幸村と昌幸は九度山へ幽閉される
・家族や家臣を養うため、知人に援助を求めた
・幽閉から11年目、真幸が死去
・幽閉から14年目、豊臣家が徳川家と戦う武将を募っていると知り、味方をする
・大坂冬の陣で真田丸という砦を造り、奮戦。48歳のとき
・「大坂冬の陣図屏風」で、幸村の軍が真田丸で戦っている様子が描かれている。政宗の兵たちが大坂城から離れた場所で、お餅を売る人とケンカをしている様子がある(笑)
・政宗は1万8千の兵を出したが、豊臣家と戦う理由が無く、家康に命じられ出陣しただけで、成果なし
エピソード3 激突!赤と黒~めぐりあい大坂夏の陣
・大坂冬の陣の戦いの後、停戦の条件として、大坂城の堀は埋められ、真田丸は破壊される
・幸村は家康の誘いを受けるが断る
・大坂夏の陣で、幸村は赤備で出陣する
・慶長20(1615)年5月6日朝、伊達は豊臣方の軍を打ち破り、一気に大坂城へ
→赤備の真田3千がたちはだかる。最初で最後の戦い!
→伊達に攻められるが、真田はこらえ、鉄砲と騎馬隊で反撃。伊達を1km近くひかせる
・戦いの合間に、幸村の娘・娘・阿梅が、伊達政宗の家臣・片倉小十郎(二代)重綱の陣へ送り届けられる
・幸村は、家康の間近まで攻め寄せるが及ばず、49歳戦死
・阿梅は片倉小十郎重綱の妻となる。片倉小十郎の所領だった宮城県白石市の当信寺に、阿梅が眠る
大阪市平野区の志紀長吉神社にある、「勝」と六連戦のついたお守りが良いですね
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