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龍馬伝 第9回 命の値段
坂本龍馬(福山雅治)が江戸に戻ってきましたね。龍馬は、千葉佐那(貫地谷しほり)に気があるようですが、平井加尾(広末涼子)との約束が頭をかすめます。千葉重太郎(渡辺いっけい)とのコミカルな場面がおかしかった(笑)武市半平太(大森南朋)は江戸に来てやさしくなった感じで、迷いの表情も出ていましたね

安政3(1856)年、龍馬は千葉道場へ行きました。父の八平が亡くなったことを話すと、千葉定吉(里見浩太朗)は「人は誰でも死ぬ。死にがいのある生き方をしなければいかん」とアドバイスしてくれます。佐那はなぜか龍馬に冷たいです。重太郎が事情を聞くと、佐那は「2年4ヶ月です。すぐに戻ってくるような言い方して!」とヒステリックに叫びます(笑)

岡田以蔵(佐藤健)は、武市半平太が桃井道場の塾頭になったと教えてくれました。半平太は龍馬を会合に連れて行きます。薩摩、長州、水戸の攘夷派の集まりでした。後から桂小五郎(谷原章介)が来ます。竜馬と知り合いと知って、半平太が驚きました。半平太は攘夷について話し出しますが、他藩が攘夷の活動を活発に行っているのを聞いて、自信を失くします。龍馬が励ましてあげましたね。ちょっと元気になった半平太は攘夷派になれとすすめてきますが、龍馬は煮え切れません  


タウンゼント・ハリスは強引は要求を突きつけ、幕府はアメリカとの交易を開始します。孝明天皇の「異人は嫌いである」という言葉が、攘夷派に大きな力を与えることになるようです。牢屋にいた岩崎弥太郎(香川照之)は、老人から商売について教えてもらい、目が開かれた思いがします。「ここに饅頭があったとする。満腹のものにとっては1文の値打ちしかない。腹を減らしちゅう者は10文出しても欲しいと思う。わしはその男に10文で饅頭を売る」

千葉重太郎が酒に誘ってきました。重太郎が「僕は君が大好きだ」と告白すると、龍馬が酒をはきだします(笑)重太郎は「君の人柄にほれている」とフォローし、佐那は女らしくなってきただろうと言いました。そこへ佐那がさかなをもってきます。重太郎は腹が痛いと抜け出し、龍馬と佐那を2人きりに。変な音楽が流れます。佐那が「ずっと坂本様…」と言い出すと、龍馬はあわてて出て行きました(笑)橋の上で龍馬は加尾を思い出していましたね

山本琢磨(橋本一郎)の仲間が商人をからかい、落としていった時計を拾います。半平太がみんなを集めて話していると、上士の戸川信次郎がやってきました。浅草の古道具屋から奉行所に、客が盗品である舶来品の時計を持ち込んできたと訴えがあったというのです。琢磨は時計を売って、金に換えようとしたと認めます。信次郎は半平太に「責任を取らせるのはお前だ」と言って帰って行きました。半平太は戸惑いながら「腹を切れ」と言います

**
以蔵から話を聞いた龍馬は、半平太のところへ行って、琢磨は富のいとこだから何とかならないかと話します。しかし半平太は攘夷のためと聞こうとしません。龍馬は土下座して、時計を落とした佐州屋に訴えを取り下げさせます

龍馬が事情を話し、半平太が迷っていると、平井収二郎(宮迫博之)が「お前は何を言うがじゃ」と入ってきて「琢磨を許したら、これまで先生がやってきたことがムダになるがぜよ」と言いました。半平太は琢磨に「今夜のうちに土佐の両親に手紙を書いとけ」とやさしく話します。竜馬が止めようとすると、収二郎は「おまんは目障りぜよ。わしらの仲間でもないくせに。もう加尾には近づくな。あいつにふさわしい家に嫁がせる」と言いました。収二郎は完全に変ってしまったようです

夜中に、龍馬は琢磨を連れ出し「こっから先はおまんの自由じゃ。山本琢磨いう人間がこの世に生まれて、簡単に命を捨てるがは、もったいないぜよ。おまんはもう土佐には戻れん。けんどの、きっとどこかにおまんの生きる場所があるきに。自分の罪を忘れてはいかんぜよ。卑屈になってもいかん。堂々と行きや」と船で送り出します

***
琢磨がいなくなり、半平太は戸川信次郎から責められました。土佐へ帰ることになった半平太は「逃がしたのはおまんじゃろ」と聞きますが、龍馬は無言です。半平太は「もうわしの邪魔はすな。目先のことにとらわれちょってはおられんがじゃ」と言うと、龍馬は「琢磨の命が目先のことでしょうか。そんなこと言うがは鬼ぜよ」と返します。半平太は「鬼になってこそ大きいこ成し遂げられるぜよ」と話しました

龍馬は「武市さんの胸には土佐を変え日本を変えるという志がある。けんど一輪の花を愛でる心も持っている。鬼は花には目を向けんぜよ」と言うと、半平太は「わかった風なことを言うな」と花を切ります。龍馬は半平太に別れを告げました

山本琢磨は、明治24(1891)年に建てられた駿河台のニコライ堂の建設に協力したのですね。江戸を離れて函館へ行き、ニコライ神父に出会い、日本人初の司祭となり、80歳まで生きたんだそうです。驚きですね


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